デヴィッド・ボウイから音楽的に特別に影響を受けているというわけではない。
しかし僕の人生が「ジギー・スターダスト」から多大な影響を受けた。
23歳のあの日、市ヶ谷駅前のレンタルレコード店でもしも「ジギー・スターダスト」を借りてこなかったら・・・・大学の視聴室でヘッドフォンをつけてLPに針を落とさなかったら・・・・僕は音楽に戻ってくることができなかったかもしれない。深い闇の中をさまよい続けていたのかもしれない。
考えるだけでも恐ろしい。
「ジジー・スターダスト」の構想は、通勤に使っている立体駐車場5階へのスロープを上がっている時に思いついた。
「じじーぽぴゅぽぴゅ」→「ジジー」→「ジジ-・スターダスト」か・・・・いいじゃないか!
ジギー・スターダストは異星人・・・・僕は変わり者で「宇宙人」だとか「異星人」だとか呼ばれることも多いから、僕自身を「宇宙人」ということにしても全く違和感はない。
当初はボウイのようなコンセプトアルバムを考えていた。しかし僕にはそんな芸当は無理だった。
このアルバムのために最初に作った曲は、たしか「ジジー・スターダスト」だったような気がする。
高齢化社会を生き抜かなくてはならない僕自身を励ます歌だった。
と同時に、この曲を広く一般の高齢者に向けた歌にした。僕には孫はいないが、年取りながら毎日を頑張る人々のしんどい気持ちは皆同じのはずだ。
ということで、「ジジー・スターダスト」曲中の主人公はいわゆる普通の高齢者だ。
一方で他のいくつかの曲では、世間から浮いた「はぐれもの」「被差別者」「宇宙人」がぞろぞろ主人公となる。僕自身の素直な感情を吐露する曲も収めることができた。
こういうリアルな歌たちは、僕の今までの作品の中でも最も私小説的な作品といえる。そしてこれは僕が「じじーぽぴゅぽぴゅ」として本来やりたかったことだ。「渋谷陽一」の続きが、やっとここから始まった。
とはいえ、ボウイの「ジジー・スターダスト」のようなコンセプトアルバムの要素は皆無なので、それぞれの曲にストーリー面での関連性は全く無い。あのようにアルバムとしての見事な統一性を僕に望むのは・・・・やはり無理だった。
しかし「高齢化社会を生きている年老いたリアルな僕自身」を作品群に焼き付けることには成功したと思う。
そういう部分で、還暦になって年を取ってから生涯ベストの作品を産み出せた自分自身を誇りに思う。